『ここが正念場だ。何が何でも追い付こう。』
2024年も早くも1月が過ぎた後の2月中旬、茨城県石岡市へと赴いた。
2023年5月に軽井沢で初出走して以来4度目となるハーフマラソンを走るためだ。
思えば茨城県へ来るのは数年振りのこと、生涯でも両手で数えられる程の来県回数だったかもしれない。
自宅からは東京都心を通過しなくてはならず、必ずと言って良い程渋滞に遭ってしまうため、行き先としての選択肢に入ることは少なかった。
そんな折、石岡市で第1回の記念大会となるハーフマラソンが開催されるという情報を入手したため、久々の訪問も兼ねて出走してみようと思うに至り、エントリーすることにした次第だ。
先月の館山若潮マラソンの時と同様に、今回も前日入りすることにした。
(正確には前々日から移動を開始したが、石岡市入りしたのは前日となる。)
なお練習面を振り返ると、1週間前迄の数日間は風邪のため体調がよろしくなく先週末のロング走の距離は減らしたものの、それ以降は予定通り刺激入れの5,000mやロングジョグなどはこなせていたため不安はそれ程無かったと思う。
前日は土浦市に宿泊した後につくば市内を軽く観光し、午後から石岡市へと移動を開始。
石岡市郊外に在る温浴施設、ゆりの郷で温泉に浸かった後に市の中心部へと到着した。
到着時間は17時過ぎだっただろうか。
空も暗くなり始め、やや空腹感も感じてきたので、駅の方へと散歩ついでに歩いてみることにした。
宿泊施設から駅迄も徒歩で10分程度掛かるかどうかという距離だったので、寒い季節とは言えど夜風を感じるのには丁度良いと感じた。
JR石岡駅へと至る道は商店街となっている。
地方都市では度々見られる全蓋式のアーケードではなく、オープンエアーだった。
これはこれで夜空を眺めながら歩けるので開放感があって良い。
澄んだ冬の夜空には雲が無く星が綺麗に見え、そんな空気の下で歩くのは、肌寒いながらも心地良い一時だ。
駅へと至ると構内の広場から楽器の演奏音楽聞こえてきた。
何らかのイベントが催されているのだろう。
少し記憶を巡ると、前夜祭が開催されるとの情報を目にしていたことを思い出した。
そう言えば会場は駅のところに在る広場だったような気がする。
これが、それか。
そのスペースへと足を進めてみると、幾つかのキッチンカーや料理、日本酒を提供しているテントがあり、その奥に簡易ステージが確認できた。
数人の合奏団がちょうど演奏中だった。
時計を見るともう直ぐ18時。
前夜祭が終了する時間だ。
回想してみると、出場選手は何かをこちらで頂戴できるという類の記述があったような気がする。
そこでスタッフに話を聞いてみると認識通りだったようで、出走者名簿で確認のうえ記念品の枡を頂いた。
檜が香る木製の物だ。
記念品としても良いだろう。
その後はキッチンカーでハンバーガーをオーダーしてお腹を満たしてからホテルへと帰り、軽くストレッチをして身体を解した後に就寝した。
21時半前後だったと思う。
レース当日は5時半頃に起床。
睡眠の質もまずまず。
悪くはなかっただろう。
窓から外を眺めると明るくなり始めた空には雲がやや広がりつつあったが、晴れ間も半分程度見え、天気の心配は無さそう。
朝食として軽く果物を食し、レースへの準備を始める。
練習時と同様にプランクや腹筋などを始めとした筋肉への刺激を行い、ゆっくりとストレッチに移るという、いつも通りの流れだ。
レース会場も至近であるため時間には余裕があるため、ゆっくりと準備を進めた。
窓から外を見ると道路の交通規制が始まりつつある。
そろそろ会場へと移動しよう。
予めチェックアウトを12時迄延長してあるため、部屋の片付けは後でも大丈夫だ。
会場へ行く途中の風景を幾つか手元のiPhone 13Proで撮影してみた。
情緒ある落ち着いた色合いの建物に、石岡つくばねハーフマラソンの赤い幟がよく映えている。
伝統的な建築様式の建造物もあった。
大会本部には既に多くの選手や関係者が集まっていた。
晴天の空の下、白いテントの屋根がよく映えてやや眩しく見える。
受付などは特に無いため、それぞれがレース開始の9時から10分前迄には自発的に整列する仕組みだ。
会場奥にウォーミングアップ用のスペースが設けられているため、そちらでウォームアップを始めることにした。
想定していたよりも気温が高かったためあまり寒さは感じなかったが、念のため前回のロードレースと同様にアームウォーマーは装着。
それに加えて今回はグローブも装着することにした。
距離が長いため汗を拭うのにも良いためだ。
走り始める前に大会本部で記念に1枚。
軽く汗を掻く程度に身体を動かし、スタートラインへと向かう。
こちらがスタート地点の風景だ。
大会ゲストとして國學院大学と東洋大学の選手が6人紹介された。
中には箱根駅伝を走ったばかりの選手も居るようだ。
沸いた会場をゲストランナーの有森裕子さんが更に盛り上げる。
流石は記念大会、運営にも力が入っているように見受けられた。
着々とスタート時刻が迫る。
同時にワクワク感が高まってくる。
やはりレースは楽しい。
『さぁ、行こうか。』
心の中で呟いた。
号砲とともに最前列の選手が飛び出して行く。
自分は7列目前後に位置取っていたが、流れに乗ってスタートした。
やや短めの直線を経て右にコーナーを曲がる。
少しペースは速めに思えたが、序盤はやや下りの傾向にであるためこんなところだろう。
まずはどの辺りのペースでどの選手に付くかを探ることにした。
それと同時に40台男子部門の選手が前にどの程度居るかの確認も計る。
今回の目標が部門3位以内に入ることだったので、或る程度その部分も把握しておきたいためだ。
最初の1kmは3:15。
想定よりもかなり速いペースだ。
とは言えスタート直後の混戦から抜け出す目的でペースを上げる選手も多いため、序盤はこんなものだろう。
更に1,000mや3,000mの練習ではこれよりも速いペースで走っているため、このペースそのものが速過ぎるというものでもなく、余裕があるようにも感じた。
先頭集団はまだしも、そこから後ろの集団がこのペースで押すということもないだろう。
歴史を感じる建造物を横目に暫く進むと、想定通りペースが落ち着いてきた。
3:20台半ば程度だろうか。
本日はレース仕様なので十分に押して行けるペースでもある。
その間に折り返し2、3箇所あったが、40台男子選手と確認できたのは3人。
ほか2、3人は確認できないランナーも居たが、おおよそ把握できたので今のところはOKだ。
ペースを考慮すると少し前にブルーのトップスの選手が居たため、彼の後ろに着いて市街地の区間は様子を見てみることにした。
折り返しを過ぎると上りに入り、その後は長い直線を経て左に曲がった後に田園地帯へとコースは伸びて行く。
前のランナーのペースが上がらないため、この市街地の区間で青いタンクトップの選手を抜いて1つ前に出ることにした。
センターライン寄りから抜いて視線を前にやると、2人のランナーが並走している。
彼らに着いてみるのが良さそうだ。
何より彼らの年代は分からないが、彼らを除けば前に居る同年代のランナーは1人だけである。
と言うことはこの2人のうちどちらかが30台以下ならば目標達成だ。
田園地帯へと続く曲がりくねった長閑な田舎道は、想定していたよりもかなりアップダウンが多かった。
事前の情報では30mの標高差がある鬼越峠を除けばほぼ平坦と聞いていたが、割と誤情報のようだ。
この小刻みな上り下りの組み合わせは、前半ならば然程気にならないものの、後半となると影響が出てきそうだ。
特に市街地に入る前の区間は後半は幾つかのコーナーが続く上りとなり、勝負所になってくる可能性もある。
4km過ぎあたりからペースを上げ、常磐道の下を通るトンネルを抜ける。
じりじりと前の背中が近付いて来ると、5kmを過ぎた辺りで先程の2人に追い付くことができた。
更に前方、視界の隅の方にはもう1人、上下ともに白が基調ユニフォームを着たランナーが見えたが、かなり距離はありそうだ。
2人もペースを上げて彼を捉えようという気は今のところ無さそうだし、暫くはこのまま後ろで休ませてもらおうか。
途中、沿道の高齢の女性から、「あら、姉ちゃんがおる。」、と明らかに髪の長い私のことを指しているであろう声が聞こえたため、後ろを振り返って「男でーす!」とやや大きな声で告げて再び前を向いた。
5kmの通過は17:15。
3:27/kmペースだ。
最初の1kmを考えると残りの4kmは3:30/km丁度のため、良いペースで進んでいると言えるだろう。
7km地点の右への大きな曲がり角を過ぎると、コースは里山エリアへと入っていく。
本格的な上りの始まりだ。
見たところかなり傾斜も有りそうだし、ここが鬼越峠なのだろうか。
とは言うものの昨日その峠と思しき方向から市街地へと向かった際には、急な上り坂を下りて街へと至った。
ともするとここは違うかもしれないが、何にせよ上るしか選択肢は無さそうだ。
そんなことを考えながら状態をやや前に傾け、接地を母指球から少しだけ後ろにする感覚で坂道を進んだ。
上りが終わりほぼ平坦となる8km地点を過ぎて左に曲がると、左前方奥の方に大きな野球場が見えてくる。
真っ直ぐ前に目をやると、昨夕に車で走り下りた強烈な坂が私達3人を待ち構えていた。
先程の上りで観察した限りでは、前の2人は上りが得意と言うわけではなさそうだ。
と言うのも上りでのペースの落ちが比較的顕著であったためである。
もちろん傾きが大きかったというのもあるのだが、得意な選手なら敢えてペースを殆ど下げずに差を付けるという戦い方もある。
従って、現在の自身の余裕度も混えて考えると、多少はペースの変動があっても付いては行けるだろう。
このように判断し、そのまま鬼のような傾斜の上りに差し掛かった。
上り切った後は少し下り、平坦な10km地点へ。
この辺りには茨城県畜産センターがあり、視界も開けて右にも左にも畑を見ることができた。
10kmの通過は34:42。
3:28/kmペースだ。
キツイ上りが2箇所もあったにも関わらず快調なペースで進めているのは、一重に普段の練習の賜物だろう。
11km地点の前後はアップダウンのある短めの峠道と言ったところで、ここを過ぎた12km地点の少し先に街へと戻り始める折り返し地点がある。
この12km地点に入る手間の長い直線で先頭のランナーと擦れ違った。
やはり招待選手である国士舘大学の選手だ。
その後ろには鮮やかなイエローのトップスを着た、仮面ランナー(文字通り仮面を装着していた選手)が少し間を空けて続いていた。
その後、続々と合計6人の招待選手達や一般参加のランナーが続く。
続々とと言っても数えると10名程度だったため、総合順位では自分達の集団も10位集団位にはなるのだろう。
そのまま折り返し迄の区間で選手達のナンバーをチェックすると、前の2人を除いたら40台の選手は1人しか居ないことが再度確認できた。
5kmを過ぎた辺りで視界の隅に居たあのランナーだ。
つまり、この2人はさておき、彼さえパスすることが出来れば3位以内は間違い無いということになる。
その選手にこの7、8kmでかなり追い付いているのだ。
これは行けるのではとUターンで返す足に力を込めた。
折り返し地点から15km地点過ぎ迄は平坦な道程だ。
この5kmは17:20(3:28/kmペース)、ここまでのトータルは52:02掛かった。
こちらも3:28/kmペースなので、峠道によるペースの落ちはあれど下りや平地で最初の5kmと同じペースを保てるようにカバーしていることになる。
あの強烈な上りを考慮するとかなり良いリズムで走れていると言って良いだろう。
白が基調のシャツの彼も明らかに近付き、既に数秒前に迫っている。
この後の上りで集団に吸収できるだろう。
そこからが勝負だ。
想定通り15km過ぎからのやや長い上りで彼を捉え、3人の集団は4人になった。
勢いがやや異なったので、横に並んだ際にこのまま彼が遅れて行く可能性も想定したが、呼吸音を聞くと未だ余裕は有りそうだったので、少なくとも坂の上までは4人で行くだろうと思えた。
そのまま、鍔迫り合い言える程の駆け引きもないまま坂を上って行く。
この上りがかなり厳しかったので自分としては幸運だったかもしれない。
荒くなる呼吸を野放しにしつつ懸命に腕を振りっていると頂上へと至る。
このコースで1番厳しい所をようやく越えられた安堵感から思わず笑みが漏れた。
ここからはあの鬼のような上り坂を転がり落ちるように駆け下りて行く。
少しの間、遠方の眼下に石岡の街並みが見えた。
良い景色だ。
と憧憬に浸っていると前の3人が一気にペースを上げた。
下りで仕掛けたのだ。
どうするか。
ここでこの急坂を猛スピードで駆け下りたとすると、脚へのダメージが大きく終盤に失速する可能性も高くなる。
何よりレースはこれだけではないので足首を捻ったりして怪我をする訳にもいかない。
従って、自分としては一か八かに賭けるよりも下り終わってからの平地や緩やかな上りで勝負すべきだろう。
心に決めると3人を先行させ、ペースの上げはそこそこに16km地点を通過した。
常陸風土記の丘を越えてカーブを大きく右に曲がると17km地点も目前だ。
その先の緩やかな坂を下ると、一気に視界が開けて田園地帯へと戻って来ることになる。
往路で言うと7km地点の辺りだ。
前方を見ると白が基調のあのランナーが数秒先に見えた。
『これは行ける。そして、ここが勝負だ。』
切り替えて足の回転数を増やし、一気にペースを上げる。
見る見る内に白い背中が近付いて来る。
そのまま横に並ぶかどうかを考えたが、前方を見ると緩やかな上りだったため、ここで手を緩めずに一気に引き離した方が良いだろう。
その方が精神的なダメージが大きいし、戦意を喪失させてくれるかは分からないが少なくともメンタル面で優位には立てる。
そう判断するとセンターライン側から緩やかな上り坂を利用して一気に追い抜き、そのまま左にコーナーを切って駆け抜けた。
18km地点を過ぎ、後ろの足音も聞こえなくなって来た。
そう言えばレースで後ろを振り向いたことは今迄に無かったかもしれない。
今日も振り返る気は無いし今後も恐らく無いだろう。
見るのは前のみだ。
そんな前方に目を向けると数十メートル程先に2人のランナーの並走している姿が見えた。
いつか、いや、1時間弱前に見た景色だ。
『ここが正念場だ。何が何でも追い付こう。』
心に決め、若干落ち始めたペースを再び上げようと試みる。
とは言うものの流石に19km近くともなると思ったように身体が動かない。
しかしながら前の2人もそれは同じだろう。
何が何でも、という言葉は普段は使うことは無いし、自分に投げ掛けることともなれば初めてかもしれない。
ならば、ここは実行しておきたい。
上りの時を思い出し、懸命に肩甲骨をグルグルと回す。
ややストライドが広がったのか前の2人の背中が近付いて来た。
19km地点のサインが目に入って来る頃、ようやく集団の人数が2人から3人になった。
心に決め、若干落ち始めたペースを再び上げようと試みる。
とは言うものの流石に19km近くともなると思ったように身体が動かない。
しかしながら前の2人もそれは同じだろう。
何が何でも、という言葉は普段は使うことは無いし、自分に投げ掛けることともなれば初めてかもしれない。
ならば、ここは実行しておきたい。
上りの時を思い出し、懸命に肩甲骨をグルグルと回す。
ややストライドが広がったのか前の2人の背中が近付いて来た。
19km地点のサインが目に入って来る頃、ようやく集団の人数が2人から3人になった。
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常磐道を潜るトンネルを越えるともう20kmだ。
ここから幾つかの上りを兼ねたカーブを経ると市街地へ戻る。
ゴールは目前だ。
だが、2人に追い付く所で余力は使い果たしていたので、正直なところ既に勝負できる力は残っていなかった。
それに勝負という観点では白シャツの彼を相手に既に仕掛けていたので、戦うを挑もうとも考えていなかった。
後ろに付いていて分かるが、明らかに前の2人の方が自分より余力はある。
故に出来る限り差を最小限に留めながら市街地へと戻ることが最優先だった。
20kmの通過は69:36。
この5kmは17:34で3:31/kmペースと若干遅れたが、終盤なのでこんなところだろう。
傾斜がきつくなるに連れて前の2人の背中が徐々に離れていく。
秒にして2、3秒。
カーブを曲がる毎に少しずつ差が広がって行く。
4、5秒程度は開いたか。
もう直ぐ坂が終わる。
ここから先は平坦なので差はほぼ広がらないだろう。
後ろにはもはや全く気配はない。
これは部門優勝かもしれない。
最終コーナーを左に曲がると21km地点。
手元の時計を見ると1時間12分から13分になろうとしていた。
これ迄の自己ベスト(74:40)を考えると、随分と速いペースで押して来たものだが、一方で手応えもあったとも思った。
前の2人は数十メートル先。
もはやゴールゲートも視界に捉えることができるので、追い付くことはできないだろう。
ゴールの左手前には有森裕子さんの姿があり、声掛けをしてくれたので笑顔かつガッツポーズでお礼をするろ、歓声を返してくれた。
そしてそのままゴールラインを駆け抜けた。
手元の時計を確認すると1:13:04、正式な記録はグロスタイムで1:13:06。
40台男子部門では2位(準優勝)、東洋大学や國學院大学の招待選手6人を加えても総合12位と満足のいく成績を収めることができた。
最終的に部門1位(優勝)だった後藤選手(前を走っていた2人のうちの1人)とは8秒の差が付いた。
もう1人は30台以下の選手だったようだ。
前回のレース後に部門3位以内、タイムの目安は74分台±1分を目安としていたが、目標通りの順位を獲得し目安としたタイムでも快走できため満足のいく結果だった。
レース後に部門3位だった志村選手と立ち話をする機会があった。
宮城県から参戦し、来月は東京マラソンに出走予定で、このレースはその練習の一環として出場したとのことだった。
そんな彼を以てしてもこのコースの上り坂は私と同様にキツかったらしい。
後に標高差を確認したところ、30mの標高差を一気に上る区間が2度もあり、その他市街地を除くと殆どの区間がアップダウンであったことを考えると、中々にタフなコースと言っても良いだろう。
また、私のフォームについて軸足の接地から来る重心移動やしなやかな動きなど、賞賛の言葉を頂いたことを嬉しく思う。
フォームについては拘りを持って研究し続けているため、これからも磨いていきたい。
入賞圏内(8位以内)に入ったため、レース後は表彰式に出席。
石岡市長より賞状および2位の証である楯を頂戴した。
こちらがその写真だ。
(ゴールから表彰式まで結構時間が掛かったので、その間に服を着替えておいた)
賞状と楯だけの写真も掲載しておこう。(後日自宅にて撮影)
それに加えて副賞として茨城県の名産品等も頂いた。
以下の写真のとおりだ。
中身はこちら。
更に、副賞その2として、後日石岡市のブランド豚肉である弓豚もお贈りいただいた。
弓豚のほか、石岡市の名産品が掲載されているパンフレットも同封されていた。
ローストバラがそれぞれ400g強。
中々のボリュームだ。
前掲の蕎麦に加えてブランド豚も戴けるとは、記念大会とは言え結構な大盤振舞いだと思う。
バラ肉のしゃぶしゃぶ用。
我が家では漏れなく私の得意料理の1つであるお好み焼きで消費されることだろう。
(豚バラ炒飯の可能性も少々ある)
こちらはロースの焼き肉用。
我が家では恐らく薄切りの豚カツか豚丼で消費されると想定される。
また、待ち時間に部門優勝した後藤選手とも軽く話をした。
何処かで見た名前だと思ったら、昨年10月の諏訪湖マラソンにも出場し、40代男子部門で2位だった選手だ。(その時も72分台でフィニッシュしていた実力者だ。)
今回は力及ばなかったが、今年の諏訪湖に出場されるようだったら、是非また一緒に走りたいと思う。
さて、次のレースの予定は2024年3月2日に神奈川県横浜市で開催される横浜金沢ハーフマラソン 2024。
ハーフマラソンと銘打っているが、距離は20kmのパークロードレースだ。
こちらは練習の一環での参加という位置付けとしているが、タイムは3:35/kmペースで巡航して71:40程度、順位は総合3位以内を目標として快走したいと思う。
最後に、家族を始め今回も応援してくれた全ての人に感謝し、筆を置きたいと思う。
ありがとうございました。